ババの奮闘60余年

じじ、ばば・ネットは元気です

ババが世界の旅を始めたのは、旅行が自由化(1964年)されて間もなくでした。1j360円の固定レート。一回の旅行に持ち出せる金額は一人500j制限がありました。

ある時、TV番組で有名女優との対談で、こんなことを聞かれました。

「赤道って熱いんでしょ。火傷はしなかった?」
「赤い線か何か、目印はあるの」

アフリカは当時“暗黒大陸”とも呼ばれていました。

目次

伝えたいこと

東京湾に向かって「遠くへ行くぞ。外国を旅するぞ−」と大声を上げて、はや80年。出版社勤務、穂高の山小屋、そしてアルプス。地球を駆け巡る旅暮らし。振り返って伝え置きたいことどもを…。

沢山の想い出

 振り返ると色々なことがありました。「オヤ!マサカ!」思いもかけない出来事や笑いにまみれるお話しも、旅につきまとう楽しさです。

旅“連載@A,oz

未開の雰囲気の残るオーストラリアを車で駆け巡り。出合った親切な人々は必ずこう言いました。
「ドライアップ(乾き死)に気をつけろ。水と燃料はたっぷりと」

アジアハイウエー

トルコからイラン、アフガニスタンではタリバンが爆破してしまった大石像は顔こそ削がれていたけれど、s型形は健在でした。インドではカルチャーぁショックン数数でした。

南米9カ国一人旅

南米9カ国。日本人移民の一世は健在でした。悲喜こもごもの話を聞きながら、未知の大陸を一人旅。荒野の中のブラジリア。豪壮そのもののイグアスの巨大瀧。全てが驚きでした。

マチュピチュ

 インカの“天空の都市”マチュピチュ。観光客は少なく、遺蹟は古代そのものを偲ばせる区域もあって、いまではもうその雰囲気に漬ることは困難

な、古代文明の素晴らしさを満喫でした。

サハラ砂漠

 

ナイジェリア南端の岩窟絵、緑濃かったサハラに住んだ人々の記録。
リビア、アルジェリアからニジェール、チャドを経由してラゴスへ。ベドウィンのガイドと車の旅。